朝青岡山宣伝部のあの日どんな日②~「4.24教育闘争」~
アンニョンハシンミカ!
朝青岡山宣伝部です!
今日の学習は「4.24教育闘争」についてです!
△4.24民族教育闘争(1948.4.24)
4月24日。この日は戦後日本での最大の在日同胞大衆運動といわれる4.24阪神教育闘争が勃発した日です。
教育闘争という名前からもわかるように、戦後日本で在日朝鮮人たちが民族教育を行う権利のために戦いました。
日本敗北後、民族教育の重要性について一致した在日同胞たちの中で、代表的なスローガンが掲げらました。
『お金のある人はお金を、力のある人は力を、知識のある人は知識を』である。このスローガンのもと、全国各地に
600余箇所の民族教育が設立されました。しかし、1948年日本政府が,いや、厳密にいえばGHQが、日本内敵化拡散を恐れ、
文部省を通して、日本教育実定法違反という名分で、全国にある民族学校に対して閉鎖命令を下しました。
全国各地に警察と軍隊を動員し民族学校を強制的に閉鎖させようとすると、このような暴挙に憤怒した在日同胞は総力を合わせ
民族学校を死守するための闘争を展開することとなり、5,000人から始まったデモは瞬く間に3万人にまで増えました。
これに動揺した鎮圧警察は消防車からの放水を浴びせ、さらに空砲を2、3発はなった。直後、その銃口をデモ隊の先頭に向け、発砲しました。
この発砲によりでも先頭にいた金太一少年が銃弾を受け息を引き取りました。これに激怒した同胞たちは警察と乱闘を繰り広げ数百人が重軽傷を負い逮捕されました。
特に神戸、大阪で日本敗戦後最大の大衆運動が記録され、その時期と場所を象徴し4.24阪神教育闘争と呼ばれるようになりました。